賃貸にはない持ち家のメリット(気持ち編)

賃貸か持ち家か、ずっと議論されてきているこの問題。金銭的なことであったり、身軽に引っ越しできるのか、といった観点でメリットとデメリットを並べてどっちがいいか語られることが多いと思う。

 

一方で、家は不動産という投資商品、単に住むところという観点の他にも、精神的な観点から人生に大きく影響してくるものではないだろうか。

 

今回の記事では、家族であったり、家に対する思いに焦点を当てて、持ち家だからこその良いところを描いてみたいと思う。

 

持ち家は家族がいつか戻れる場所

私は高校を卒業し、大学に入るタイミングで地方から都会に出てきて以降、ずっと地元には帰っていない。

 

車が無ければ買い物も大変、自治体の活動が負担、といった田舎の嫌な部分があり、なにより良い仕事が無いことから今後も戻ることはないだろうと思っている。

 

その一方で、実家を出てから今に至るまで、実家は常に「いつか戻れる場所」「何かあったら逃げ帰れる場所」として、ある種、心のふるさとのような感じでずっと自分を支えて来てくれている。

 

私は新卒で入った会社は失敗して、すぐにやめてしまったのだが、その時もいざとなれば地元に帰って次のアクションに向けて準備が出来る、という安心感があった。

 

お盆や正月に実家に帰ったときも、家に泊まることが出来るし、ゆっくり家族と話ができる。また、ふと目に入るもの全てに思い出があって、ホーム感に安心することができる。

なんなら、トイレを流した時の音にまで、ある種のノスタルジーを感じでしまう。

 

もし両親が賃貸を選択して、子どもが家を出たタイミングで狭い家に住み替えていたら、帰省して実家に泊まる広さ的な余裕はなかったかもしれないし、なにより借り物の家に対して「ここは自分の故郷なんだ」という感覚も湧かないだろう。

 

また、もし子どもが女の子であれば、持ち家であれば将来里帰り出産で帰ってくるかもしれない。その時に、その子が産まれた当時の話をゆっくり出来るだろうし、しっかりサポートしてあげることが出来る。

 

このように、子どもに「帰れるホーム」を提供することができるのは賃貸にはない持ち家のメリットではないだろうか。

 

思い出が蓄積されていく

今の家だと昔のように大黒柱がむき出しになっていて、子どもの身長をそこに刻むようなことは少なくなっていると思う。

 

それでも、庭に植えたシンボルツリーや植物の生長であったり、床に子どもが付けてしまったキズなど、生活していく中で家が変化していって、その一つ一つが思い出になっていく。

 

賃貸だと、住み替えてしまえば全てリセットされてしまう。

 

私は反抗期に実家の壁に穴を開けてしまったことがあるが、それは今でもそのまま残っている。

今見ると気恥ずかしいが、これもまた思い出である。

 

持ち家は賃貸に比べると、住み替えは難しくて人をその地に縛ってしまう側面はあるが、逆にだからこそ蓄積していけるものもあると思う。

 

ちなみに、私の祖母の家は現状誰も住んでいないのだが、その家を相続した母は売ることが出来ないでいる。家を売ってしまうと、祖母との思い出を手放してしまうような感覚なのだろう。私もなんとなく気持ちが分かる。

 

さっさと売ってお金にすれば良いのに、と他人は思うだろう。でも、この家は母と祖母が頑張って働いて買った家で、母が結婚するまでずっと住んでいた大切な場所である。

 

そこまで思い入れのある場所を所有するということに、金銭にはない価値を見出す人もいるし、私もどちらかと言えばそういった考えの人間である。

 

持ち家か賃貸か

結局この議論に決着がつかないのは、家というものが持つ価値は人によって様々であることも原因なのだと思う。

 

単に住む場所として以上の意味を家に求めない人にとっては、気軽に引っ越すことが出来て、所有することで生じる煩わしさもない賃貸は、気楽に暮らせる良い選択であろう。実際に賃貸を推奨している人は、独身で自由に生きたい人、損得を重視する人などが多い傾向にあると感じる。

 

一方で、家に住む場所以外の意味、特に気持ちの面での満足感や楽しみを求めるなら、持ち家は良い選択だと思う。

 

将来、自分の子どもがどう思うのかは分からないが、私は、ともに育ち、いつでも帰れる場所としての実家を子どもに与えてあげたいと思っているし、愛着を持った家に住みたいと思うので持ち家という選択で良かったと思う。